ラファエロ・サンツィオ

芸術家のジョヴァンニ・サンティの息子として1483年に生まれる。ジョヴァンニはウルビーノ宮廷お抱えの画家であり、ラファエロは遠近法などの芸術スキルを学ぶ環境に恵まれていた。1498年に父が没すると、ペルジーノの弟子となる。

 

ペルジーノは当時有名だった芸術家で、ラファエロはさらに芸術の理解を深めた。その結果、初期の代表作「マリアの結婚」を作り上げた。

 

当時、フィレンツェではレオナルド・ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」を描いてスターとしてその名を轟かせていた頃。ラファエロもレオナルドに魅せられ、手法を学んだり、尊敬の念を抱く。

 

ラファエロの作品「大公の聖母」は、レオナルドの手法「スフマート」が利用されているほか、肖像画の「マッダレーナ・ドーニ」にもモナ・リザの構図が使われているなど、影響は色濃い。

 

ラファエロはやがてローマに移住。ラファエロは耐久性のあるフレスコ技法が上手かったため、彼の作品は後世まで残る。「アテネの学堂」などの遊び心のある作品もこのころのものだ。

 

残念ながら、1520年に37歳の若さで急逝してしまう。

 

 

代表作:アテネの学堂

 

 

有名な哲学者などが一堂に会した壁画作品。真ん中を歩みながら語り合うのがプラトンとアリストテレスだが、左のプラトンの顔はラファエロが尊敬するレオナルド・ダ・ヴィンチの顔になっている。

 

キリストの教えを伝える手段としての芸術手法をギリシア精神に結びつける試みでもあり、古典主義に回帰を象徴する作品の意味があるとされる。