ミケランジェロ・ブオナローティ

若くして王に認められた天才

ルネサンスを代表する芸術家のひとり、ミケランジェロはトスカーナで公務員の子として生まれた。ギルランダイオのボッテガに入って修行していたころ、まだ10代にしてロレンツォ豪華王に見いだされ、メディチ宮殿に入る。芸術を見抜く目のあったロレンツォの眼鏡にかなって異例の大抜擢となったのである。すでにこのころ、「ケンタウロスの戦い」などの素晴らしい作品を残していた。

 

その後フィレンツェの動乱によりミケランジェロはボローニャに移住。平穏が戻ってからは、ローマに移って「バッカス」を製作した。彼の名は徐々に広まっていき、「サン・ピエトロのピエタ」を完成させるにあたってその名声は盤石となった。

 

そしてついに、後に稀代の芸術となる「ダヴィデ」の依頼が入ったのである。まだこのとき彼は20代である。ダヴィデの完成には3年の月日を要したが、完成時には市民総出で祝い、パラッツォ・ヴェッキオの玄関に設置されてフィレンツェ共和国の防衛シンボルとなった。ちなみに、ダヴィデの元となった大理石は別の彫刻家が使う予定だったが、巨大すぎてもてあまし、いったん廃棄されたものであった。その大理石を使って4メートル以上の巨大彫刻を彫り上げたのだ。

 

名声はやがてローマにも届き、教皇ユリウス二世の依頼を受ける。かの有名なシスティーナ礼拝堂の天井画である。

 

しかし、フィレンツェ革命軍とメディチ家との争いが起こってしまい葛藤が生まれる。彼はフィレンツェにもメディチ家にも恩義があったので、どちらに加担するかで大いに悩むのだった。結局、彼は革命軍に入って戦った。

 

その経験で彼は心の傷を追い、「ロンダニーニのピエタ」などの悲劇のイメージを持つ作品を作るようになった。

 

代表作:システィーナ礼拝堂の天井画

 

 

教皇ユリウス二世に依頼され、30代半ばのころに製作した巨大な天井画。ルネサンスを象徴する金字塔的作品だ。旧約聖書の創世記をあらわしており、「原罪」や「アダムの創造」「ノアの箱舟」などの作品をまとめた形になっている。

 

この作品は天井に直接描かれたものだ。床から天井まで足場を組み、常に上を向きながら描かれたため、非常に過酷な作業となったという。ミケランジェロは休みなしで描きつづけたが、それでも教皇がしょっちゅう催促にきたという。これほどの巨大作品にもかかわらず、4年で描きあげたというから驚愕だ。