レオナルド・ダ・ヴィンチ

ルネサンスを象徴するスター

レオナルドは、フィレンツェのそば、ヴィンチ村に生まれ、15歳ころヴェロッキオの工房(ボッテガ)に弟子入りした。

 

ボッテガで師匠であるヴェロッキオの彫刻をひたすら模写して過ごし、描写などの美術知識を学んでいった。そして「キリストの洗礼」などでは共同製作を許されたが、レオナルドの描いた天使は師匠の描写を上回る評価をされている。このころでまだ20歳くらいのころだというから驚異的だ。

 

30歳ののころミラノに移住し、ルドヴィコ・イル・モロ宮廷でボッテガで得た技能をいかんなく発揮し、彫刻だけでなく音楽や治水分野でも活躍した。

 

有名な彼の手稿もこのころにしるされたものだ。

 

40歳を越えたころ、グラーツィエ聖堂の「最後の晩餐」の製作を開始。これはレオナルドがてがけた世界的な名作だが、長い年月を経て大部分が剥落した。なお、1977年から大規模な修復が行なわれ、テーブルにだされている料理が魚料理だったり、キリストの口が実は開いていたことなどがわかっている。

 

1500年にフランス軍がミラノを占領したため、レオナルドはフィレンツェに帰る。このころにはレオナルドの名声はとどろいており、アヌンツィアータ聖堂で聖アンナ画稿を公開するやいなや大量の市民が押し寄せたと言われる。

 

まさに絶頂期であったが、このころに描かれたのが「モナ・リザ」である。ちょうど同じころにミケランジェロは「ダヴィデ」を彫っていたという。

 

晩年はフランソワ一世に招かれてフランスに移住し、宮廷画家となる。そのため、「モナ・リザ」などの作品はフランソワ一世が所有し、今ではルーブル美術館で鑑賞できる。

 

代表作:モナ・リザ

 

 

初期のルネサンスでは、横顔を垂直にとらえた構図が主流だった。とくに女性画では、横顔の輪郭線が美しいとされた。ところが、時がたつにつれて肖像画の人物はだんだん正面を向き始める。写実主義が進んだことで、横顔でなくても美しく描画できるようになったのだ。そして、ついに「モナ・リザ」ではななめ正面からとらえるに至った。今では当たり前の構図も、ルネサンスの文化的成長があってこそなのだ。